社会保険の適用拡大と人事労務管理への影響
人口減少が続く中、多くの女性がより長く働くことが求められているが、それを阻んでいるのが、いわゆる103万円と130万円の壁だ。年収が103万円を超えると所得税がかかり、130万円を超えると社会保険の被扶養者から外れることになる。
そこで政府は、社会保険の機能強化とセーフティネットの充実を目的に社会保険の適用拡大を決めた。これにより社会保険に加入する短時間労働者が増えることになる。当面は「特定適用事業所」と呼ばれる、厚生年金保険の被保険者数が500人以上の会社に限定されるが、規模要件は徐々に縮小することが予想される。将来に備え平成28年10月1日から始まる新しい仕組みを確認し、この改正が企業にもたらす影響についても考えてみよう。
短時間労働者への社会保険の適用はこう変わる
今後、パートやアルバイトといった、いわゆる短時間労働者の社会保険の適用は「4分の3基準」と「5要件」という2つを使って判断されることになる。最初に「4分の3基準」を使い、この基準を満たさない場合は、次に「5要件」を使って判断する。
「4分の3基準」は、労働時間と労働日数を正社員と比較するもので、これまでも用いられていたが、今回の改正により、①1週間の労働時間が正社員の4分の3以上であり、なおかつ、②1カ月の労働日数も正社員の4分の3以上、という2つを満たした場合に社会保険に加入するという内容に変更された。①にあった「1日の労働時間」については基準から抜け落ちた。
この「4分の3基準」の改正は500人という規模要件は問わないため、すべての会社に適用される。そして、この「4分の3基準」を満たさない労働者については、次の「5要件」に当てはまるか否かを確認する。
「5要件」とは、次の①~⑤のすべての要件を満たす労働者は、社会保険に加入するというものだ。
- 週の所定労働時間が20時間以上であること
- 雇用期間が1年以上見込まれること
- 賃金の月額が88,000円以上であること
- 学生でないこと
- 会社全体で厚生年金被保険者数が500人を超えていること
1の「1週20時間以上」は、シフト制などにより週の所定労働時間が短期的かつ周期的に変動する場合は、変動する期間における1週の平均労働時間を使って判断する。また1カ月単位で労働時間が設定されている場合は、まず1カ月の労働時間を12倍し年間の労働時間数を求める。そしてこの年間労働時間数を1年間の週の数である52週(=365日÷7日)で割って、1週間の労働時間数を求める。1年間で労働時間数が決まっている場合は、この労働時間数を52週で割る。
2の「雇用期間の1年以上見込み」は、雇用契約書では1年未満の契約になっていても、更新がある、あるいは更新される可能性がある場合は、1年以上の見込みに該当する。また、同じような雇用契約で1年以上雇用されたその他の労働者がいる場合も該当する。
3の月額賃金の88,000円は、時給や日給を月額に換算して判断する。各種の手当も含まれるが、最低賃金法で算入しないとされている「精皆勤手当」「通勤手当」「家族手当」は含まれない。ただし、これらの手当は社会保険に加入する際の手続きでは報酬に含まれる。また臨時に支給されるものや1月を超える期間ごとに支給される賃金、割増賃金は88,000円の中には含めない。
なお今回の改正による「4分の3基準」と「5要件」は厚生年金保険法・第12条(適用除外)に明記された。従来の「4分の3基準」は法律上の根拠がないまま、旧社会保険庁が定めた独自の基準がそのまま用いられてきた。今後の短時間労働者の社会保険の適用については、法律で明記されたことにより、これまで以上に厳格化が進むと思われる。
なお、健康保険の被扶養者になれる130万円という基準に変更はないが、「4分の3基準」や「5要件」によって社会保険に加入した場合は、自分自身が健康保険の被保険者となるため、たとえ年収が130万円未満でも、健康保険の被扶養者にはなれない。被扶養者の基準も見直しされ、被保険者の「兄・姉」はこれまの同居の要件がなくなり、生計を維持していれば被扶養者として認められることになった。
【参考】社会保険の適用拡大に関する日本年金機構のページ
企業の人事管理はどう変わる
社会保険の適用が拡大されると、企業も個人も新たな対応を迫られることになる。企業は社会保険に加入するパート・アルバイトが増え人件費がアップするため、新たな人事管理が求められる。一方、働く個人の側は、これまでよりも労働時間を増やし、社会保険に加入した上で、より多くの収入やよい良い待遇・キャリアを求めるのか、それとも働く時間を減らし、非課税・被扶養者として補助的に働くのか、という選択を迫られる。
そして、パートやアルバイトといった短時間労働者の多くは有期雇用契約のため、契約期間が5年を過ぎると、雇用期間が定めのないものに変わる「無期転換ルール」も適用される。従来、短時間労働者と言えば、有期雇用で社会保険には入らないものと決まっていたが、今後は無期雇用でありながら社会保険には加入しないパートタイマーや、有期雇用でありながら社会保険に加入しているアルバイトといった新しい雇用管理区分が登場する。
これに正社員から転入する労働者も加わる。定年退職後に継続雇用され短時間働くシニアパートや、育児や介護、病気治療、その他の理由で一時的に短時間働くという正社員もいる。
今後、短時間労働者の雇用管理区分は①社会保険への加入の有無と、②雇用期間が有期・無期、これらの違いによって4つに区分される。そして、これらの区分内での労働者の移動も頻繁になる。
そして人事管理(=社員から見ればキャリアパス)は、主に次の4つに分かれることになる。
①採用時から有期雇用で社会保険は適用除外。労働時間が短く補助的業務に従事し5年未満で退職
②採用時は有期雇用・社会保険適用除外だが、雇用期間が5年を超えて無期雇用になる。労働時間は引き続き短いまま補助的業務に従事し、社会保険は適用除外
③採用時は有期雇用・社会保険適用除外だが、雇用期間が5年を超えて無期雇用になったのを機に、労働時間を増やし社会保険に加入。中核的な業務を担う限定正社員
④有期雇用で採用され、5年以内に正社員に登用。社会保険に加入し、フルタイムで働き基幹業務を担う
予想される労働トラブルとは
社会保険の適用拡大と無期転換ルールによりパート・アルバイトの雇用管理は複雑さを増すため、トラブルの発生も予想される。短時間労働者の人事労務管理は工場や店舗、サービス拠点といった現場に任されることが多く、経営陣や本社の人事総務部門が関与していないことも珍しくない。このため経営陣や人事総務担当者はトラブルが起きて初めて、自社の短時間労働者の雇用管理の実態を知って驚くといった事態になりかねない。
現在、短時間労働者の待遇を定めているのが、パートタイム労働法で、平成27年4月1日から改正法が施行されている。この改正法では新しく第8条で「短時間労働者の待遇の原則」が定められた。会社は短時間労働者の待遇を正社員と異なったものとする場合は、その差は①業務の内容および業務に伴う責任の程度(=これの2つを総称して「職務の内容」としている)、②人材配置の変更の範囲(=人事異動の有無やその範囲)、③その他の事情、これらを考慮して、不合理と認められるものであってはならないという均衡待遇の原則が定められている。
また、第9条では正社員と職務の内容が同じで、人材配置の変更も同じ短時間労働者を「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」と規定し、この短時間労働者の待遇については正社員と差別してはならないという均等待遇が規定されている。
「均衡待遇」と「均等待遇」は表現は似ているが、意味が異なるので注意する必要がある。「均等待遇」は待遇に差がない平等ということで差別の禁止に当たる。一方、「均衡待遇」は差があってもよいが、その差は均衡、つまりバランスが取れていることが求められる。
バランスの取れた差ということは、正社員との待遇の違いについて、会社が労働者に対し説明でき、労働者が納得できるものでなければならないことになる。そのため、改正されたパ-トタイム労働法では第14条で、会社が短時間労働者を採用した際は、均等待遇、賃金、教育訓練、福利厚生、正社員の転換について説明する義務を課すことになった。
また、このパートタイム労働法に加え、労働契約法が絡む事態も予想される。労働契約法は第20条で、「期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止」を規定している。有期雇用労働者と無期雇用労働者の労働条件が相違する場合は、職務の内容、人材配置の変更、その他の事情を考慮して、この差が不合理と認められるものではあってはならないとされている。
短時間労働者との間で最も起こる可能性が高いのが手当を巡るトラブルだ。正社員と短時間労働者で手当の有無や金額に差がある場合、この差が不合理であると判断される可能性がある。これを機に現場の短時間労働者の雇用管理の実態を確認しておくことが望まれる。
2016/8/24
【厚生年金保険法 改正条文】
第12条 次の各号のいずれかに該当する者は、第9条及び第10条第1項の規定にかかわらず、厚生年金保険の被保険者としない。
1~4(改正がないため省略)
5.事業所に使用される者であって、その1週間の所定労働時間が同一の事業所に使用される短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律(パートタイム労働法)第2条に規定する通常の労働者(以下この号において「通常の労働者」という。)の1週間の所定労働時間の4分の3未満である同条に規定する短時間労働者(以下この号において「短時間労働者」という。)又はその1月間の所定労働日数が同一の事業所に使用される通常の労働者の1月間の所定労働日数の4分の3未満である短時間労働者に該当し、かつ、イからニまでのいずれかの要件に該当するもの
イ 1週間の所定労働時間が20時間未満であること。
ロ 当該事業所に継続して1年以上使用されることが見込まれないこと。
ハ 報酬(最低賃金法第4条第3項各号に掲げる賃金に相当するものとして厚生労働省令で定めるものを除く。)について、厚生労働省令で定めるところにより、第22条第1項(資格取得時決定)の規定の例により算定した額が、8万8千円未満であること。
ニ 学校教育法第50条に規定する高等学校の生徒、同法第83条に規定する大学の学生その他の厚生労働省令で定める者であること。
事務所新聞のヘッドラインへ
オフィス ジャスト アイのトップページへ