人事労務管理と人材マネジメントに関する情報発信

靴下作りに人生をかけた経営者


私達は誰もが経営者だそうだ。経営というのは仏教用語で、「経」は人間の生きざま、いかに生きるかということで、「営」はそれを営み実践すること、だから誰もが経営者になる。一方、「企業経営者」は人間が生きていくのに必要な業(なりわい)を企てる者を指す・・・

そんな話をしているのがタビオ株式会社の創業者、越智直正 さんだ。同社は靴下専門店の「靴下屋」などの屋号で全国展開している上場会社だ。靴下の専業メーカーというのは世界でも珍しい上、すべての商品を国内で生産しているのも異色と言える。

靴下に賭ける越智さんの思いも際立っていて、企業経営をする上で、あるいは自らの生き方を考える上で役に立つ話がたくさんある。



越智直正 氏


無い無い尽くしの起業


「経営」の要諦は、一途とする事以外は空になり、無に徹して、我を捨て、こだわらないことだ。越智さんにとって一途な事はよい靴下を作ることだ。寝ても覚めても頭の中は靴下のことで一杯で、その度合いが半端ではないため、見ようによっては「狂」の様相を帯びてくる。

15歳で中学を卒業すると愛媛から大阪へ丁稚奉公に出される。10年で暖簾分けで独立させるという約束だったのに、10年を過ぎて間もなく、釈然としない理由でクビを言い渡される。やむなく靴下を扱う商売を始めるが学歴はない、資金も信用も支援もない徒手空拳のスタートだった。

あったのは唯一、一流の製品で世界一になりたいという思いだけだった。越智さんにとってはよい靴下を作れることだけが自分の誇りであり、靴下作りだけは誇れる人間になりたいと思っていた。

越智さんはいい靴下を作る以外には「我」がないから、わからないことを人に聞くのにためらいがない。聞いた話は素直に受け入れて、ひたむきに実行する。すると教えてくれた人がまた、こうすればもっといいよとか、次はこうしてみればと教えてくれる。

借りたお金は期日に必ず返し、約束を守っていると、「貸しても大丈夫」と信用されて次も貸してくれるようになった。私利私欲がないから取引しても損をさせられないことが伝わり、取引先の工場や店が増えていく。





時代は変われど、変わらない経営姿勢


越智さんによれば「経営」に奇策はなく、原理原則を貫けば道は開ける。原理原則は中国の古典から学び、理不尽にクビにされたにも関わらず、かつての奉公先の大将の教えを商売の心得として大切にしている。

「経営」は「王道」を行くべきで、他社や他者と競争して相手を打ち負かしていると、恨みを買い敵を作る「覇道」に陥る。また物事を判断するのは「善悪」ではなく、「正邪」を基準に据えている。「善悪」で判断すれば自己中心になるが、「正邪」であれば、世のため人のためという社会性が反映される。

良い事を思い続ける力が「運」であり、「志」は一朝一夕に達成できない。「一生一事一貫」で思い続けることで「志」は信念になり、計り知れない幸運によって達成される。幸運とは支援者や理解者が現れることであり、時期やタイミングに恵まれ、ひらめきや気づきを得ることだ。これらはいずれも「経営」には欠かせない。

自分に起きる問題は自分で解決できる程度の問題しか起こらない。だから手に負えないような問題は起きず、必ず解決できる。善いことも悪いことも長続きしないから、善悪を満喫せず、善悪に囚われないようにする。どんな最悪の中にも、それなりの最善がある。だたし全力で「経営」に当たっていないと、その最善は見つからない。

越智さんが社長を息子に譲ったのは、医者から体を冷やさないように普段から靴下を履くように言われたからだ。日頃から靴下を履いていると、靴下を履いた時の感触が鈍り、いい靴下は作れない。商売人にとり商品は命よりも大切なのに、靴下よりも命を大切にするようになってしまったから社長職は引退することに決めた。

極めるとか貫くという言葉の意味の重さを感じさせる話だ。私たちは知らず知らずのうちに、あれもこれもと欲張りが過ぎるのかもしれない。




靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓


2022/10/11


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