ジェームズ・ダイソンが語る我が人生
一つの発明が私達の生活や業界の競争関係を一変させることがある。そんな状況にあるのが掃除機だ。従来の掃除機と言えば2つの車輪がついて、床をゴロゴロと引っ張り回すキャニスター型だったが、現在はスティック型が主役になりつつある。
このスティック型掃除機を生み出したのがジェームズ・ダイソン(James Dyson)が創業し、チーフエンジニアを務めるダイソン社だ。ジェームズ・ダイソン氏とダイソンという会社の歩みをご紹介しよう。
James Dyson
独創性に触発される学生時代
ジェームズ・ダイソンは1947年、イギリス東部ノーフォークの生まれ。物心ついたころから絵を描くのが好きで、10代の頃はスポーツや音楽、役者、演劇、舞台美術などに熱中した。学業には打ち込まなかったが成績は良く、大学に入学前にバイナムショー美術学校へ体験入学する。ここで「インダストリアルデザイン」に出会う。
その後、校長の推薦もあり、「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」(RCA)という本来なら大学生が入学する大学院大学に進学する。RCAではエンジニアリングにのめり込んでいく。そして、現在は工業用の流量制御装置などを設計・製造しているロトルク社の創業者であるジェレミー・フライ氏と出会い、授業の課題として水上スキーや足漕ぎボート、水陸両用車などの設計の依頼を受ける。
こうした活動を通じて、デザイン、エンジニアリング、アート、科学の結びつきを体験し、自分の本当にやりたい事はモノ作りであるという思いに至る。そして将来はエンジニアとモノ作りに同時に携わるという夢を抱く。
RCAを卒業するとロトルク社に入社し、自分が設計に携わった水陸両用車を売り始めた。顧客の要望に応じて仕様変更をしながら絶妙なアイデア、独創的な発明により生み出されたデザインが市場を一変させたり、新しい市場を創り出すことに魅せられる。ダイソン氏にとって『独創的で、全く新しい製品をデザインして、作って売る事が自分にとっての究極の挑戦である』(p63)
生活用品を作るため独立開業
ロトルクでの仕事を続けるうちに興味の対象は、産業用の資本財から家庭生活における単純な厄介事を楽しくする製品に向くようになり、それらを自分で手掛けるため独立する。最初に取り組んだのが建設現場などで見かける運搬用の手押しの一輪車だ。
新しい手押しの運搬車である「ボールバロー」の製造工程で、その後のダイソン社を運命づける技術に出会う。金属に静電粉体塗装(ドライコーティング)する際には細かい塗料が発生する。これを集めるために使われていたのがサイクロン式の遠心分離集塵機だった。このサイクロン技術が後々、ダイソン掃除機に転用される。
ボールバロ(Ballbarrow)
「ボール・バロー」は成功したものの、会社の運営を巡ってダイソンは他の取締役と対立し、役員を解任されてしまう。すべてを失ったものの、心機一転、かねてより温めていたアイデアであるサイクロン式の掃除機の開発に取り組む。
試作品を作っては実験、設計を見直してはまた試作品作りを繰り返し、最初の製品が出来上がるまで5年の歳月を要し、試作品の数は5127個に達した。完成したサイクロン式掃除機は、それまでの掃除機のように紙パックが目詰まりして吸引力が落ちることがなく、髪の毛より細かい微粒子状の物質を分離して集め、機外に排出せず空気を汚すこともない。
ダイソンは次のように語る。『世間では発明は才気のひらめきであるかのように語られるが、そういう発明はめったにない。発明の本質とは成功の瞬間に至るまで失敗を受け入れ続けることにある』(p6)。『必要なのは必ず最後までやり抜くという決意、忍耐力、意志力を持つことだ』(p123)。そして、『アイデアとは運を頼りに起業する人たちから出るものではなく、自分の製品に対して燃えるような情熱を持った、想像力あふれるエンジニア、デザイナーから生まれる』
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日本企業との出会い
掃除機は出来上がったものの、次は販売という課題が待ち受けていた。既存の掃除機メーカーにライセンス生産を持ちかけるものの、相手にされなかった。彼らにとっては紙パックの収益を失うダイソン掃除機の生産は論外だった。
通信販売で細々と販売を続けていたところ、思わぬ幸運が舞い込む。ファイロファックスというシステム手帳を輸入販売している日本の会社から取り扱いのオファーがあった。契約がまとまり、日本のブラザー工業で生産された掃除機「Gフォース」は大ヒットになり、販売が軌道に乗り始める。
Gフォース
ダイソン氏は日本との深いつながりを感じている。昔からホンダのスーパーカブを愛用しているし、ソニーのウォークマンからは深いインスピレーションを得ている。イノベーションに関して日本は輝かしい歴史があり、日本人は端正に作られたもの、新技術による製品に心から魅了される人々であり、自分の技術を真っ先に信じてくれたとても大切な存在であると評している(p258)
ダイソン氏はこれまでのキャリアを振り返り、発明する事、研究する事、実験する事、デザインする事、モノ作りや製造する事、これらをクリエイティブでやりがいがあると感じている(P408)
エンジニアにとってクリエイティブな衝動、モノを改良したいという欲望、問題を解決しなければという思いは途切れることがない(p409)。科学と技術は様々な問題を解決できると信じているし(p410)、大切な事は冒険心を持ち続け、オリジナルで、先駆的で、エキサイティングである事を恐れずにいる事である(p414)
インベンション 僕は未来を創意する
2025/01/13
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